会社紹介

株式会社ヤマト木巧
同社事務所内店舗、檜まな板専門店「大和木巧」

代表挨拶 会社概要 アクセス 120年のあゆみ


新代表挨拶

創業120年となる今年、代表取締役となり、身の引き締まる思いです。代々の教えである「お客様の笑顔」を第一の目標として、親切・丁寧・信頼・アフターフォローを一層充実させていきます。そしてこれからも、お客様に選ばれる仕事を、コツコツ続けていきたいです。

株式会社ヤマト木巧
代表取締役社長 大和直樹

会社概要

会社名株式会社ヤマト木巧
代表取締役大和直樹
資本金1000万円
従業員9名
創業明治37年9月(1904年9月)大和建具家具製作所
設立昭和23年3月(有)大和家具店
社名変更平成4年(株)ヤマト木巧
所在地〒080-2465 北海道帯広市西24条北2丁目5-59
TEL0155-37-6553
FAX0155-37-6523
事業内容木製建具家具製造販売
建設業許可番号北海道知事許可(般-2)+第00162号
建設業の種類大工工事業 建具工事業
資格取得一覧・1級建具技能士 7名
・2級建具技能士 4名
・2級建築施工管理技士 4名

アクセス

  • 所在地:
    北海道帯広市 西24条北2丁目5-59
  • 営業時間:
    平日8:30~17:00 / 土日祝定休

120年のあゆみ

年表あゆみ世の中の動き
令和6年(2024)創業120年を迎える。
令和2年(2020) 2月北海道技能士会より表彰状を頂きました。
令和元年(2019) 9月創業115年を迎える。11月、北海道知事より表彰状を頂きました。R01 10月、消費税10%
平成31年(2019)北海道知事より弊社社長が感謝状を頂きました。H31 1月、大坂なおみ全豪オープン初優勝
平成30年(2018)4月、Maslow購入。H30 平昌五輪、日本勢大躍進
11月、卓上CNC購入。9月、北海道胆振東部地震、ブラックアウト
平成29年(2017)4月、大和直樹 常務取締役就任。H29 プレミアムフライデー始まる
平成28年(2016)3月、数年前に製作に係らせて頂いた建具等の納まりを見たいという声が上がり、箱根のポーラ美術館に社員研修に行きました。H28 北海道も台風被害甚大
4月、大和直樹 入社。常務就任。
7月、十勝毎日新聞の帯広小学校120周年記念特集に弊社社長と常務の記事が掲載。
平成26年(2014)創業110年を迎える。競争入札参加資格の要件に、社会保険の加入が追加されたのは昨年だったと思います。弊社が社会保険に加入したのは昭和23年、大和家具店を設立した年でした。60年以上も前に、苦しい経営の中で、初代社長が行った決断を誇らしく思います。H26 消費税8%にアップ
4月、工場の屋根の上で太陽光発電始める。50キロワット以下。
平成23年(2011)帯広市産業経済功労者表彰 対象:技能功労で、取締役工場長武田守が表彰される。H23 3.11東日本大震災発生
2月、弊社社長が十勝家具建具産業協同組合の理事長に就任。同2月、PTA役員として感謝状を頂く。
3月、東日本大震災発生。一時材料等の手配に混乱する。小型の彫刻マシーンを購入。(NCルータ―の一種)多機能コンパクトなので、事務所の隅で稼働中。
平成22年(2010)燃料や環境を考慮して、工場車両2台を入れ替える。パネルソー(合板切断機)1台も入れ替え。この後は、パネルソーは2台共デジタル式になる。H22 平城京遷都1300年祭
平成21年(2009)電子入札に参加。地元の建具業界では初。
12月、帯広商工会議所の第1回老舗店舗事業者表彰で、100年以上の老舗8社の中の1社として表彰を受けました。
平成20年(2008)6月、函館で開催された建具展に従業員研修を兼ねて参加。H20 リーマンショック
平成19年(2007)リコーimajio MP C2500SPF導入。カラーコピーが可能になる。書類をスキャンして保存することも手軽になる。H19 15歳石川遼世界最年少V
平成18年(2006)十勝毎日新聞に帯広小学校110周年特集の記事が載り、その中に大和の記事も載りました。大和与一、與三、与志一、与志一の子供2男1女の4代に渡り帯広小学校を巣立ったという内容でした。H18 荒川静香日本人初金メダル
平成17年(2005)カラープリンター導入。デジカメで現場写真を撮影し印刷。打合せや資材の注文に使用H17 郵政民営化関連法案成立
平成16年(2004)創業100年を迎えるH16 拉致被害者家族帰国
平成15年(2003)手作りでホームページ作成を開始し、情報発信を始める。H15 自衛隊イラク派遣
平成13年(2001)リコーデジタル複写機MF3540W導入。A2サイズのコピーが可能になる。H13 9.11アメリカ同時多発テロ
平成12年(2000)1月、パネルソー導入(合板を裁断する機械)。数値をミリ単位までデジタルで正確に計測できるようになる。社内LANを組んで、事務系データの共有を始める。仕入帳、売上帳、給与関連全般は、エクセル等を使用し、自作で管理体制を作る。H12 北海道有珠山23年ぶり噴火
平成10年(1998)5代目社長大和与志一 就任。(創業から6代目)H10 長野冬季オリンピック
5月、初めて海外(ハワイ)へ社員旅行に行く。
平成9年(1997)帯広市西24条北2丁目5-59に工場新築。移転する。H9 消費税5%にアップ
平成5年(1993)1月、釧路沖地震発生。帯広は震度5、翌日取付予定の建具を前日に現場に大量に搬入済み。破損がひどくほぼ全てが作り直しとなる。H5 細川連立内閣成立
平成4年(1992)4代目社長大和よし 就任。(創業から5代目)H4 毛利さん日本人で初宇宙へ
本店を、株式会社ヤマト木巧に社名変更。支店と分離。
PC-VAVというパソコン通信中は電話が使用出来ないという問題を解消するため、電話をビジネスホンに変更。連絡用に携帯電話の使用開始。まだ普及前で、使用料が高額でした。
平成3年(1991)大和与志一取締役就任。H3 バブル崩壊始まる
約1800万かけてモルダ精密自動多軸鉋盤導入(材料の四面同時プレーナー)。デジタルのモルダ機械の導入は建具屋としては十勝管内初。
平成1年(1989)一面自動カンナ機導入。連絡用にいち早くポケベルの使用始める。H1 消費税導入3%
昭和62年(1987)FAXとコピー機を導入。FAXを送った後、電話でFAXが届いたか確認したことも多々あった。S61 スペースシャトル爆発事故
昭和60年(1985)現社長大和与志一入社。大学時代から無類のパソコンマニア。業界の中でいち早く事務、製図にパソコンを導入。当初はバックアップが十分ではなく、図面が消えるハプニングもあった。S60 日本航空機123便墜落事故
昭和50年(1975)製品センター落成。優良道産品推進協議会より、カラマツドア大和推奨受ける。カラ松製品や小物の製作も独自で行うようになり、製品センターの一角に展示を始める。三代目社長が自分のために蝶の標本箱を作成、同じ蝶の仲間の声で蝶の標本箱が商品化される。S51 ロッキード事件
昭和48年(1973)建設業許可(建具工事業)を受けるS47 札幌オリンピック開催
S45 大阪万博開催
昭和42年(1967)3代目社長大和與三 就任。(創業から4代目)S42 公害対策基本法施行
昭和40年代帯広建具家具共同職業訓練校で、当時、組合員の経営者が月2回位交代で講義を行う。平日の夜週2回6時~8時、日曜朝8時から12時。3代目社長も数年間講師を務める。
昭和38年(1963)十勝家具建具産業協同組合設立。設立時から組合員となる。S38 米大統領ケネディ氏暗殺される
昭和35年(1960)十勝毎日新聞に50年を超えた企業として紹介されています。S35 日米新安全保障条約発効
昭和30年代取付は荷車中心。冬場は、馬そりが活躍。遠方の場合、お客様のお宅に泊めて頂いて作業したこともあった。昭和30年代後半、三輪自動車を購入。しかし、従業員は運転免許を持っておらず、私(会長大和よし)が運転して朝一番現場へ送る。時には、自分も現場で障子や襖貼りの作業をした。昭和37年生まれの現社長は、三輪自動車の中に寝かせていた。その後、従業員に一人づつ運転免許を取得させた。(会長大和よし談)S32 南極観測隊が昭和基地設営
昭和27年(1952)2代目社長大和鉄二郎 就任。(創業者次男)S27 日米安全保障条約発効
昭和25年(1950)帯広市大通に支店を出す。S25 朝鮮戦争始まる
昭和23年(1948)資本金100万円で有限会社大和家具店設立。初代社長大和與一 就任。(創業者長男)S22 日本国憲法施行
昭和4~8年帯広木工業界で、初めて木工機械導入。S6 満州事変始まる
明治38年(1905)帯広市西3条南3丁目において、住宅兼製作所を構える。M38 ポーツマス講和条約調印
明治37年(1904)富山県高岡市より帯広に移住。大和建具家具製作所を大和権三郎が創設。M37 日露戦争